Zoom webセミナー
理学療法のルーツを知るセミナー
終了しました
日時
2022年12月4日(日) 10:00〜12:00(予備時間12:20まで)(9:45〜Zoom受付開始)
定員・参加費・最小催行人数
定員15名(最小催行人数は5名) / 参加費3,000円
対象職種
PT / OT / ST / その他
講師
渡邊 宏樹
湘南藤沢徳洲会病院リハビリテーション室長
秋田大学医療技術短期大学部理学療法科卒業
神奈川県立保健福祉大学大学院保健福祉学研究科修了(リハビリテーション学修士)
立命館大学大学院先端総合学術研究科在学中(博士課程)
呼吸療法認定士、心臓リハビリテーション指導士、心不全療養指導士
Knowledge Link代表

概要
なぜ「Physical」が「理学」なのか。
極論すればこれを知るためのセミナーです。
身近にある多くの英和辞書で「Physical」を引いても「理学」とは出てきません。
なのに「Physical Therapy」は「理学療法」なのです。
この謎を解くには、1890年代(明治の中ごろ)以降、ドイツを中心に始まった(今でいえば)物理療法を知る必要があります。
この頃、水治療法や電気療法は、ドイツ語で「Physikalische Therapie」と呼ばれていました。
明治の終わりに「Physikalische Therapie」が日本に持ち込まれた時、「理学的療法」と訳され、当時の日本の医学界に一気に広がります。時を経て、第二次世界大戦後のアメリカ医学の流入により「理学的療法」は大きく変質していきます。
ドイツ医学にアメリカ医学が混ざったもの。それが「Physical Therapy=理学療法」。
明治維新ののち、新政府はそれまでオランダ医学一辺倒だった医学方式を、ドイツ医学に一気に転換します。
ギプスもカルテもレントゲンも全てドイツ語。明治のドイツ医学化の遺産はいまだに根強く残っています。
ギプスやカルテと一緒に日本にやってきた「Physikalische Therapie」。
時を同じくして、アメリカでも「Physical Therapy」が始まります。この時点ではアメリカでの「Physical Therapy」は「理学療法」ではありません。
第二次大戦の敗戦後、アメリカ占領下の日本はその医学方式を一気にアメリカ方式に転換せざるを得なくなります。ここで、同じ語源を持つ「Physikalische Therapie」と「Physical Therapy」は、意味も内容も混ざっていきます。このあたりを丁寧にひも解くと、なぜ「Physical」が「理学」なのかが、やっとわかってきます。
事実、療法士はリハビリテーションのルーツをあまり知らない。
現代のリハビリテーションを形作るルーツにはいくつかの系統があります。
1890年代(明治の中ごろ)以降ドイツを中心に始まった物理療法、スウェーデン体操に端を発する整形外科系のリハ、ポリオの治療体操に端を発する小児療育の一翼としてのリハ、結核の治療法としての呼吸器リハ。
他にも、かなり細かないくつものルーツがあり、それらが合流して現代のリハビリテーション(特に理学療法)を形作っています。実際のところ、多くの療法士はそのルーツを知りません。
リハビリテーションの近代史は、単なる昔ばなしではない。
リハビリテーションの近代史を学ぶことは、「そもそもどこから始まったのか」「なぜこの方法が出来上がったのか」を学ぶことです。さらに言えば、「どの方法が衰退して」「どの方法が進化したのか」を知ることでもあります。
今いる場所から一歩先に進む為には、そして、さらに深く理解する為には、これらを理解することが必要です。
リハビリテーションの近代史は昔ばなしなどでは無く、むしろ未来への道しるべとでも言うべき知識です。
なぜ「Physical Therapy」が「理学療法」なのか。
このシンプルで根本的な問いに答えられる理学療法士でありたい人のためのセミナーです。
なぜ「Physical Therapy」が「理学療法」なのか。
このセミナーは、このシンプルで根本的な問いに答えられる理学療法士でありたい人のためのセミナーです。
これから理学療法を学ぶ人にも、すでに理学療法を生業にしている人にも、そして今、理学療法を教えている人にも、ぜひ知ってもらいたい知識です。
セミナー内容
現代の理学療法を形作るルーツにはいくつかの系統があります。
1890年代(明治の中ごろ)以降ドイツを中心に始まった物理療法、スウェーデン体操に端を発する整形外科系のリハ、ポリオの治療体操に端を発する小児療育の一翼としてのリハ、結核の治療法としての呼吸器リハなどがその端緒です。
このWebセミナーでは、それらのルーツを一つずつ紐解いていきます。
研修会内容は以下のとおりです。
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①物理療法から始まったリハビリテーション
明治から大正にかけて、ヨーロッパに留学した数少ない医師たちにより日本に持ち込まれた物理療法が試みられ始めます。このころの物理療法とは、水治療法であり、温熱療法であり、超短波療法であり、マッサージなどです。またこのころは放射線治療も物理療法に含まれていました。彼らはこれを「Physikalische Therapie」と呼んでいました。
同じころ、アメリカでもいわゆる物理療法が試みられ始めます。先進的な内科医たちによって始められたアメリカ物理療法を彼らは 「Physical Therapy」と呼びました。第二次世界大戦後、同じ語源を持つドイツ「Physikalische Therapie」に、アメリカ「Physical Therapy」が合流します。
この話は日本の「理学療法」の起源の話でもあり、「理学療法」の語源の話でもあります。このあたりの紆余曲折を紐解きます。
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②整形外科領域、小児領域のリハビリテーションはじめの一歩
川瀬元九郎や田代義徳などによって日本に紹介されたスウェーデン体操。この体操の治療的な部分がやがて整形外科術後の後療法として少しずつ浸透していきます。大正時代、東大医学部の医師高木憲次らにより、手術後の治療体操やマッサージを担わせる「術手」が育成されます。看護婦や体操教師の他、それまで按摩師として働いていた盲人などもこれにあたるようになります。
また、高木はそれまで座敷牢に閉じ込められ世間から隔離されていた肢体不自由児(この言葉を作ったのも高木憲次)を集め、療護施設「整肢療護園」を開設し、療育(教育と治療)を開始します。高木憲次を起点としたこれらの話は、整形外科領域の、あるいは小児領域のリハビリテーションの端緒と考えることが出来ます。これらの紆余曲折を紐解きます。
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③呼吸リハビリテーションのはじめの一歩
かつて世界的に猛威をふるい死の病として恐れられた「結核の治療」の中に呼吸リハビリテーションのヒントが隠されています。さらに言えば内科系疾患に対する運動療法の最初の一歩とも言えます。大正時代に一旦下火になった結核に対する「呼吸リハ」は、昭和に入って「結核の作業療法」という名前で再登場し、そこから、現代の呼吸リハに近い形に変化していきます。当時の世界の呼吸リハと対比させながら、このあたりの紆余曲折を紐解きます。